在宅研修
Tだ
2人の激励は受け取ったが
かのウイルスの影響でなかなか活躍の機会は迎えられていない
在宅ワークで暇だったので仕事をテーマに小説を書いた
暇が続けば続編を書くかもしれない
タイトルは『21世紀における就業体験記録』
以下本文
☆
最終的にはきっちりかっちりした報告書にまとめ上げないといけないのだけれども、いまはここにとりあえずの感想を記しておこうと思う。さて、内容はもちろん題の通り21世紀における就業体験についてだ。体験プログラムのことは成人を迎えた優秀な人ならよく知っていると思う。国が主導で始めたプロジェクトで、これから大人になる優秀な若者にいろんなことを体験させてあげようというものだ。
選択肢は山ほど用意されてて、開発中のリゾート惑星、冥王星の先行居住体験にはちょっと心惹かれたし、同じ時間移動というジャンルでは戦国時代で刀を振り回すのもありかなって迷ったけど、結局は21世紀に向かうことを決めた。
21世紀は今に続く超高度文明社会が始まったころだって言われていて、その頃は、ほとんど全ての人が何かしらの仕事に就き、働いていたらしい。……毎日の暮らしの、起きている時間の大半を働き続けるってどんな感じなんだろう。人々は何を思いながら過ごしていたんだろう。僕は、そんなことがなんだかひどく気になってしまったんだ。
西暦3010年5月22日、僕の18歳の誕生日の一週間と少し前、出発の日であり、また帰還の日でもある。タイムゲートの出発ロビーに設置された物質転送装置に僕のスーツケースが吐き出されてくる。向こうで怪しまれたりしないように、というか過去にないものは持ち込めないからすごく古いタイプのスーツケースだ、新品だけどね。
荷物を受け取ったらいよいよ最終チェックの列に並ぶ。余談だけど時間移動は過去になんやかんやで揉めたらしくて、今は厳しく管理されている。ちなみに僕は今回が初めての移動。だから勉強してきたけど結構ドキドキしてる。
「歳納凌さんですか?」
僕の生体情報もデータベースには登録されているわけだから、わかりきった質問なんだけど管理ロボットが確認してくる。
「はい、歳納、凌です」
僕が頷くとロボが案内をくれる。
「3番ゲートからの出発です。お進みください」
僕はまた頷き進む。そういえば昔はこういった管理官も全て人間がこなしていたらしい。もちろん知識にはあると思うけど体験プログラムが無ければ改めてそれを意識することは無かったかもしれない。そんなことをぼんやりと考えているうちに目的地へとたどり着いた。
「歳納凌さん、おかけになってください」
3番ゲートのオペレーター。このロボットが出発前に話す最後の相手だろう。いよいよだ。はい、と答えると青白くぼんやり光る椅子型の装置に神妙に腰かける。
「荷物をしっかり握ってくださいね」
小さな駆動音とともに一度目の光が僕を包む。
「はい、荷物や健康状態に問題はありません。対象時間は2021年2月28日17時00分です。……それでは、良い体験を」
先ほどよりも大きな音とまぶしい光に包まれ僕は思わず目をつぶる。少しの浮遊感。そうして僕は過去へと旅立った。
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時間の長いトンネルを抜けるとトイレであった。目の前には個室のドアがあった。21世紀で初めて目にした記念すべきものがトイレのドアか。だがいつでも冷静な僕は慌てずに一旦鍵をかける。まずはここがいつ、どこなのかを確認しておかないと。
貸し出されたスマートフォンを取り出し地図アプリを起動。まだまだ進化の余地を残しているのに、なんだか洗練されているこのガジェットが僕は結構気に入っていた。もちろん使い方はしっかり予習済みだ。GPSは予定通り東京国際空港、羽田にいることを示している。時刻は2021年2月28日17時02分。
「よしよし」
ひとまず安心だ。ところで、確かにスーツケースを持った人間を隠すなら空港だと思う、これには文句ない。その中で人目につかないのはトイレだってのもわかる。けど、やっぱり最初に出る場所としてはあんまり嬉しくない。だって、出す場所に出るって……。これは改善点だと感じるのでしっかりメモっておくことにする。言っておくけど転送も分解もない水洗トイレだからね?さて、いつまでぼやいていても仕方ないしそろそろ外に出よう。逸る胸を押さえながらトイレのドアに手をかける。
――こいつはただのトイレのドアだけど、僕にとっては21世紀の世界への扉でもある――なんて最近覚えた名言を心中で微妙にパクりながら、僕は扉を開け偉大な一歩を踏み出した。
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「つかれたぁ……」
僕は暗くなってからようやくたどり着いたホテルのベッドに飛び込んだ。移動の疲れもあるけどこれは完全に感動疲れだ。いろんなことが僕の時代とは違っていた。エンジン旅客機が飛行するのも現代ではあんまり見ないし、空港も広すぎて歩くのにくたびれてしまった。その後の移動手段も車だ。タクシーと言うんだけど運転手が運転して好きなところまで連れて行ってくれる。そして空港の中でもたくさんの人が働いていたし、タクシーの運転手もホテルのフロントも人だ。
窓から見た街には人が溢れていたし、夕暮れ時の世界はなんだかとても美しく感じた。多分僕が感じる時代の違いを逐一書き出していたらそれこそ21世紀が終わってしまうかもしれないなぁ……。ベッドに寝ころびそんなことを考えていると眠気が襲ってきた。就業体験は明日からだ。重くなる瞼に逆らうことをやめ、楽しみと不安を抱えて僕は知らない世界で眠りについた。
☆
「美沙ちゃん、おつかれさま」
朝からバイト先の本屋に着くと私のことを店長が待ち受けていた。
「あ、店長おつかれさまです」
普段は奥に引きこもってる店長だけど、今日は何か話があるようだった。なんだろう。
「梅原君がケガしたとかでしばらく来られない話は聞いてる?」
あー、その話かと私は頷く。
「詳しくは聞いてないですけど、そうらしいですね」
「うん、完全に良くなるまでに一ヵ月弱はかかるらしいんだよね。……でまあ、梅原君がいない期間は僕も働かなきゃかと思ったんだけど、代わりを用意してくれたらしくて。今日から来るんだ」
店長、梅原さんのケガはあんまり気にしてないみたいだ。
「今日からですか?」
「そうなんだ。それで美沙ちゃんに一応教育係をお願いしたくて」
「……教育係ですか、まあいいですけど」
「ごめんね、じゃあよろしく」
それだけ言うと店長は奥に引っ込んだ。
「はい……」
いくら小さな店だからって適当すぎやしない?大体あの調子じゃ会ったこともない人でしょうに。まあ店長のやる気がないのはいつものことだし、特段教えるのが大変なこともないから気にしないことにする。このお店、一応私がいないときは店長と梅原さんが二人で働いてるらしいけど、私が長期休暇に入るとシフトは全部私と梅原さんになって店長は働くのをやめる。全くどっちが春休みなんだかわからない。とはいえありがたいことでもある、仕事は楽だし用事があったら代わってくれるし。
「うーん、やるかー」
伸びをひとつするとエプロンを着けて新しく届いた本の整理から始めることにする。荷物をほどいて新刊棚に表紙が見えるように本を並べながら思ったけど、そう言えば私、新人の名前も年齢も性別も聞いてない。やっぱり適当すぎるな、店長。ぼんやり、店長の愚痴を考えていると入口の鈴が来客を告げる音を鳴らした。本日最初のお客さんだ。近所に住んでる美能さんだろうか、月初めに入る新刊を毎月買いに来るからね。あっでも、もしかしたら新人君?さん?かもしれない。
「いらっしゃいませー」
私は声を出し、新刊を並べ終えるとレジの方に向かった。いつもより声が弾んだ気がした。私、どんな人が働きに来るのかちょっと楽しみなのかもしれない。
☆
『平成書店』
看板を見上げるとそう書かれている。間違いない、ここが僕が今日からお世話になる就業先である。紙の本を売っている店だ。
普段働くことをしない31世紀の人間に急に仕事を体験させようとしても、それが大変なことであることは想像に難くないと思う。その中で選ばれる仕事の形態はアルバイトである。つまり普通に仕事に就くよりかは楽で責任も少ないということらしくて、学生が働いていることも多いんだとか。そんなアルバイトの中でも楽な方に分類されるのが書店員だ。まあここは体験する人によっても変わるんだけど今回はそうなった。そして書店の中でも、ちょっと田舎の個人経営の、あんまり大変じゃないお店を選んでくれたらしい。それでも不安が沢山あるのはもうしょうがないけどね。ちなみに平成っていうのは2019年まで続いた元号だ。
「――ふぅ、お邪魔しまーす……」
息を吐き、おっかなびっくりドアを開け中に入る。ちりんちりんと鈴が僕の来訪を告げた。レジ(会計するとこ)に座っていた長い髪の少女が顔を上げ目が合う。歳は僕と同じくらいだろうか、綺麗な子だと思った。
「いらっしゃいませ」
珍しいものを見る目で僕を見ながら少女が告げた。
「えっと、こんにちは」
「こんにちは。……あーもしかしてあなたが今日から働くっていう?」
緊張しながら返答すると少女の方が察してくれた。
「あっ、そうです。歳納凌と言います、よろしくお願いします!」
「うん、私は一ノ瀬美沙です。よろしくね」
一ノ瀬美沙、初めて名前を知るこっちの人だ。すごく似合う名前だと思う。
「あーっと、とりあえず荷物はこっちに置いて。それからこのエプロン、梅原さんのだけどこれ使ってね」
「はい!」
エプロンをするのは書店員の証である。意外に汚れる仕事があったり、ポケットに必要な小物をいれたりするらしい。僕はちょっと嬉しくなりながら紺色のエプロンを装着した。
「梅原さん、ケガ大変ね。店長はどうせ奥で読書に集中してるから、私が任されてるの。ごめんね?……うーん。じゃあ早速だけど本棚の掃除とかしてみよっか、しばらくお客さんはこなさそうだし」
また、はいと答えると掃除用のはたきを受け取った。早速の仕事だ!僕は軽く頬を叩き気合を入れた。
「ふふっ」
美沙さんがそんな僕を見て笑った。笑われた僕はちょっと不思議そうな顔をしていたと思う。
「ううん、ごめんね。えっと……凌くん。本棚の掃除に気合入れる人なんて初めて見たからさ、もしかしてバイト初めて?」
「えと、バイト、はじめてです」
笑われたのもあって、僕はちょっとばつが悪そうに答えた。
「あっ、全然大丈夫だよ!私ちゃんと教えるからね。じゃあやろっか」
美沙さんが焦ったように言う。僕はにっこりして頷くと気を取り直して二人で掃除を始める。
これのやり方は僕にも分かった。はたきをフリフリして埃を払うだけ。5分も続ければ全部の棚が終わった。
「綺麗になりましたね!」
「うん。完璧」
僕が言うと美沙さんも嬉しそうに答えてくれた。不安はいっぱいあったけどこの人とだったら何の問題もなく仕事を続けられそうだと思った、会ったばかりだけどね。ちなみに多分21世紀人には超楽勝の仕事だったと思うけど僕の腕は結構悲鳴を上げていたことを記しておく。
その後しばらくはレジに座って二人で話をした。普通の仕事は多分こんな時間は無いんだけど、人のこない田舎の本屋さんだからね。わかったことを書いておくと、美沙さんは僕と同じ17才でちょっと離れたとこにある高校に通っている2年生。今は春休み中らしくて毎日この本屋で働いているらしい。明日からもずっと美沙さんと一緒に働けるわけだ。店長はちょっと変わった人で、一瞬顔を出したけど。僕の名前を聞いてよろしくねと言うだけでまた裏に引っ込んでいった。美沙さんいわくずっとあの調子なんだって。
他には業務のこともちゃんと教えてくれた。といっても内容は簡単だ。本の陳列を直したりはたきがけをしたり、在庫の管理とか返品する本の整理、新しい本が届いたらそれを並べたりする。他にはレジの操作と、ブックカバーのかけかたと、袋の場所と。あとはお客さんが来た時の対応だけど最初は美沙さんがやるのを見ててねって言われた。
そんな話をしているとついに僕にとってのお客さん一号がやってきた。ちりんちりん、鈴の音だ。
「いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませ!」
美沙さんを真似て僕も言う。けど別にお客さんの方に向かったりはしない。服を売る店とかだと結構話しかけに行くらしいけど。お客さんはしばらく雑誌コーナーを吟味すると一冊を買うことに決めたみたいだ。
「これ、お願いします」
若めの、お兄さんだ。
「はい、530円です」
美沙さんが雑誌を赤い光でピッピとやり紙幣を受け取る。レジを操作するとバカっとレジが開き美沙さんがお釣りを渡す。
「お釣り、470円です」
隣にいた僕はレジの下から取り出した袋に雑誌を入れてお客さんに手渡した。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
お客さんが雑誌を受け取り出ていく。僕たちは頭を下げて礼を言う。
「ありがとうございましたー」
「ありがとうございました!」
ドアが閉まり顔をあげると美沙さんはこっちを見てにっと笑った。僕も思わず笑顔になった。多分難しいことは何もしていないんだけど、僕はなんだかふわふわした達成感に包まれていた。
その後もちらほらとお客さんがきて、おっかなびっくりレジを打たせてもらったり、常連さんが来て新顔の僕に声をかけてくれたりした。美沙さんはお客さんの本探しを手伝ったり、お勧めの本を紹介したりしていた。
20:00に平成書店は閉店だ。自動ドアのカギをしめるとレジの集計作業をして仕事はおしまいだ。
「店長、おつかれさまです」
「おつかれさまです」
「はいおつかれさま。明日もよろしくー」
店長に声をかけて店を後にする。来た時には緊張と不安に包まれていたけど、いまはなんだか清々しい気分だった。美沙さんとは途中まで一緒に帰った。ホテルに帰って食べた夕食は朝食に比べたらなんだかとてもおいしく感じた。シャワーを浴びてベッドに飛び込むとすぐに眠気が襲ってきた。うん、明日も頑張ろう。おやすみ。
☆
今日入ってきた新人はどこか不思議な少年だった。目がキラキラ輝いていて、いろんなことを楽しんでいる気がした。私の真似をしてレジを打つ姿とかなんだか可愛くてたまらなかった。同い年なんだけどまさに後輩って感じで。梅原さんには悪いけど、明日からのバイトがちょっと楽しみになった。
☆
3月2日。ぐっすりと眠って、実に気持ちのいい朝だった。やっぱり仕事の疲れはあったみたいだ。平成書店の開店時間は朝10:00だ。今日は朝から行くことになっているのでもう動き出さないといけない。服を着て顔を洗って歯を磨いて、朝食をいただく。21世紀も3日目だから少し手馴れてきた感じがある。ロボットに頼らないと面倒だなって感じる部分も多いけど。さて、そろそろ向かわないと。ホテルから15分ほど歩くとアルバイト先に着く。自動ドアは閉まっているので裏口から入る。
「おはようございます!」
「はいおはよう」
店長はこっちも見ずに答えてくれる。美沙さんはまだ来てないみたいだ。荷物を置いて、ドアのカギを開ける。エプロンを着けていると美沙さんの挨拶が聞こえた。店長のやる気のない返事もだ。
「美沙さん、今日もよろしくお願いします」
「うん、よろしくね。あっそうだこれあげる、眠くなっちゃうといけないからね」
美沙さんがカバンから取り出した飲み物を差し出してくる。
「コーヒーですか?」
「そ、これ私のお気に入りなの。ブラックだけど飲める?」
「ええ、ありがとうございます。」
キャップを回してボトルを傾ける。のむのむ。ぷはー。
「これおいしいですね。スッキリしてて」
「……でしょ?」
美沙さんはちょっと意外そうな顔をした後ににっこり笑った。
「じゃ、今日もやりますかー」
美沙さんが伸びをして仕事の始まりだ。そこからは昨日習ったこととほとんど同じである。埃を払って陳列を直して、お客さんが来たら対応して。あと今日は新しい本は届いてないみたい。他には売れなかった雑誌を返品するために箱詰めする。レジ打ちはまだ怪しげだし、美沙さんみたいにお客さんの対応をこなせるわけじゃないけど、僕は就業2日目にして結構平成書店マスターに近づいているかもしれない。空いた時間には美沙さんと雑談した。これがやっぱり結構楽しくて、31世紀だと希薄な、人と人のつながりって大事だと思った。ちなみにお昼ご飯は店長が作ってくれた。なんにもやる気がない人だけど料理はおいしかった、意外。仕事に集中していると時間は早く過ぎる。美沙さんとの楽しい会話も時間が早く過ぎる。そんなこんなであっという間に夜の20:00になり平成書店は閉店の時間を迎えた。
「うーん、おつかれさま」
美沙さんがエプロンを外して言う。
「おつかれさまです!」
半分以上だべってたけどやっぱり仕事は体力を使う。今日もよく眠れそうだ。
「じゃ、また明日ね」
「はい、また明日」
店から少し歩いたところで僕と美沙さんはわかれる。ホテルに着いたら夜ご飯を食べてシャワーを浴びて寝る、実に健康的だ。ちょっとは慣れたとはいえやっぱり疲れ切っていた僕は今日もすぐに眠りについた。
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そこから4日ほど同じような日々を過ごした。毎日美沙さんが伸びをして仕事が始まり、帰り道に分かれてホテルでぐっすり寝る。就業超初心者の僕が言うのもなんだけど、仕事というのは意外と変化のないものかもしれない、もちろん職種にもよると思うけど。
僕は着々と平成書店マスターへの道を進んでいた。まあ実情は美沙さんとの楽しい時間だ。どんなことを話すのが多いかって?じつは勤勉な僕は過去にさかのぼる前にこっちの文献を読み漁ってきたんだけど、美沙さんもずーっと本屋さんで働いているだけあって大の読書好きだ。やれ誰々の何がいいだの、なんとかは微妙だったとか、これのここが良かったとか。そんな話で無限に盛り上がれてしまうわけだ。
この体験を通じて思ったことだけど人とのつながりはやっぱり大事にすべきだ。お客さんにお礼を言われれば、美沙さんと話が盛り上がれば、店長のお昼ご飯を頂けば、脳が喜んでいるのがわかる。間違いなく喜んでいる。31世紀人は誰も気づいてないけどね。まあ周りにロボットしかいない生活をしていたらそうなるさ。これは持ち帰ってぜひ人類に伝えたい情報だね。
「美沙さん、それなにしてるんですか?」
7日目のことだったと思う、美沙さんが普段と違うことをしていたので気になった。と言っても小さな変化だけど。
「これね、ポップつくってるの。見たことあるでしょ?おすすめの本をプッシュするの」
「ああ、いいですね。僕もやっていいですか?」
何個か本棚につけられている可愛いものは美沙さんの手作りポップだったのか。あと一応言っておくと僕が最初お客さんに対応できてなかったのはただビビってたからってだけで、読み込んできた本たちについてお勧めすることには自信がある。美沙さんのポップを見様見真似で可愛く作って、そこに僕の文を書き添える。この作品、ほんと傑作だったから誰かに読んで欲しいなぁ。その3日後くらいにポップを見て小さく唸ってた人が僕のおすすめを買っていったときはびっくりするくらい嬉しかった。美沙さんはちょっと悔しがってたけど、やっぱり喜んでくれた。
他には棚の上の方の総入れ替えもした。男手だし重い本の入れ替えにちょっと期待されてたと思うんだけど、結局31世紀人の細腕では美沙さんと同じくらいの仕事量しかこなせなかった。僕が重い本に苦戦してるとこを見て美沙さんはちょっと喜んでた気がしたけど、なんでもイメージ通りだったとか。
あとは、帰りに2人でコンビニに寄ったりした。ちなみに僕はクレジットカードを借りてきるから買い物はできる。美沙さんが最初にくれたコーヒーと同じシリーズのミルクティーがあったからそれを買った。あのコーヒーも美味しかったけどこれもすごく好きな味だ。僕はここまでの経験で気づいたんだけど労働は食べ物や飲み物をおいしくする効果があると思う。これも持ち帰りたい知識だ。
楽しくない思い出についても記しておこうと思う。本屋も接客業だからいろんなお客さんが来る。困ったのは物理好きのお客さんが来た時だ。高エネルギー宇宙線の観測について最も詳しく書かれている本はどれかねと尋ねられた。一応物理学の本が置いてある棚に案内したけど勤勉な僕でも全部の分野を読み込んできたわけじゃないから、どれがいい本なのかわからなかった。しかたないから、僕にはよくわかりませんと正直に言ったらお客さんが怒り出してしまったんだ。でも書店員だって本の場所は知ってるけど内容まで全部把握してるわけないじゃない?せめて、古いタイプのダークマター理論だったらちょっと齧ってたんだけどなぁ。そんな時に奥からのっそり出てきた店長がこれがおすすめです。って助けてくれたのは本当に感動した。やっぱり引きこもって本を読み続けてるだけあって知識量は半端ない店長がものすごくカッコよく見えた。他にも、まあそんなようなことがあったんだけど嫌な思い出は僕の胸にしまっておく。何が言いたいかっていうと仕事って楽しいだけじゃないってことだ。その日は帰りに美沙さんが紅茶をおごってくれた。嫌なことも忘れられる爽やかさに満ちた味だった。
そうそう、3月25日のことも忘れてはいけないだろう。平成書店の給料日は毎月25日なのだ。僕はここまでに25日しか働いていなかったけど、店長は残りの5日の分も合わせて支給してくれた。帰りのコンビニでまた同じシリーズのカフェラテを買った。美沙さんがくれるのもいいけど、自分で働いたお給料で買ったカフェラテは格別の味がした。
その後で書き残したいことはあんまり多くない。でも確かなのは僕が美沙さんに恋焦がれ、美沙さんを愛していたということ。これだけはしっかりと刻んでおく。
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あいつ、やっぱりおかしい。いやおかしいってのは全然悪い意味じゃないんだけど、そもそも私はあいつのこと結構気に入ってる。可愛い後輩だし、趣味はめちゃくちゃ合うし、これまで平成書店で働いてきた中で一番楽しかったのはあいつと過ごしたこの数週間なのは間違いない。まあ元々変な奴だと思っていた。スマホにライン入ってないし……。まあそれくらいなら普通にいるか。でも、ツイッターも入ってないし……まあ、それもいるけど。でも、あいつのスマホなんかめっちゃ軽くて薄くて見たことない機種だったし……。コンビニでちらっと見えたクレジットカードもなんかピカピカしててすごかったし……。なんかいろんなこと知ってるようで全然知らないようなでも知ってるような、そんな不思議なやつだった。ほんとにえっ?て思ったのはいつものあいつとのブックトークの中。
――最新巻でデービッドがポーリンを守って命投げ出したとこ、ほんと泣きましたよね――
って言ってたこと。その時の私は、え?デービッド死んだの?って思わず言った。あれ、美沙さんまだ読んでなかったんですか、すみませんってすごく謝ってたけど、その後私が確認したリターンホーム・ファイブオクロックの7巻ではデービッドは普通に生きてた。それで怖くなったんだけど明日3月30日が第8巻の発売日なわけ。私は震える手で、届いたばかりの第8巻のページをめくった。
……。
……。
……。
やっぱり面白くてついでに最後まで読んじゃったけど、結論から言えばデービッドはポーリンの代わりに犠牲になってた。いまちょっと鳥肌たってるよ。でもだとしたらあいつはどこでこれを読んだんだろう。もしかして、あいつが作者とか?それとも編集……友達とかならあり得るだろうか。それでも、発売済みかどうか間違えるようなことってある?多分だけどあいつは私に嘘をついたことがないから、あれはほんとに間違えてたんだと思う。私はいてもたってもいられなくなってあいつをここに送り込んだはずの梅原さんに連絡を取った。
一ノ瀬:『けがの調子はどうですか?』
一ノ瀬:『あと、凌ってどんな人なのか教えて欲しいんですけど……』
送ってから思ったけど、気になりすぎてこれ少し変かも。
梅原:『調子はいいよー!ありがとう。4月からは出れると思う』
梅原:『凌って?』
割とすぐに返ってきた返信を見ていよいよドキドキが止まらなくなってしまった。
一ノ瀬:『それはよかったです』
一ノ瀬:『歳納凌くんのことです』
すかさず返信が来る。
梅原:『歳納凌?ちょっとわからないなぁ』
梅原:『俳優とか?』
もう私の頭は限界だった。これってどういうことなの?店長は確かに梅原さんが代わりを用意したって言っていたはず。
一ノ瀬:『あっ、いえなんでもないです』
一ノ瀬:『復帰お待ちしております』
なんとかそれだけ返すとスマホの画面を消した。
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なんとか平静を取り戻した私は次の日の帰り道、凌を尾行することに決めた。なにかわかるかもしれないし、わからないかもしれない。本人に直接訪ねる勇気はまだなかった。
「じゃ、また明日ね」
「はい、また明日」
いつもの挨拶をして、いつもの道で分かれる。私は自分の道をある程度進むと、立ち止まり踵を返した。
「凌……」
私は小さく呟きながらあいつがいつも帰る道を進んだ。
背中を見つけてからだいぶ歩いた。あいつの家はそろそろだろうか。そんなとき凌が道を曲がった。私の心臓が早鐘を打つ。なんで?なんで、あいつホテルに入っていくの?だって、田舎の本屋でバイトするためにホテル泊まりする人なんて聞いたことない。私は思わず駆け出し凌を呼び止めた。
「凌……!」
凄くびっくりした顔で凌が振り向いた。
「み、美沙さん……」
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なぜか美沙さんが僕の目の前にいた。それでなんか、すごくいろんなものを詰め込んだような顔をしてる。
「凌……あなたってなんなの?なんか変よ。持ってるものもちょっと変だし言動がなんかチグハグしてるときがある……というか、あの本屋でバイトしてるのにホテル暮らしってどういうこと?梅原さんもあなたを知らなかったし、極めつけはデービッドの話‼まだ発売してなかった8巻でデービッドはポーリンを守って犠牲になってた‼8巻の発売日は今日よ?いったいどういうことなのか説明して頂戴!」
「美沙さん……」
今になって思えば、美沙さんはこのとき決定的な答えにたどり着いていたわけではなかったんだと思う。でもこれだけ感情的になった美沙さんに問い詰められたことは初めてだったし、なにより、僕は彼女に嘘をつくことをしたくなかった。
「美沙さん……じゃあ、言う。こんな話信じられないかもしれないけど、美沙さんには言う」
……。
……。
……。
沈黙が僕たちを包む。
「僕は西暦3010年から来た未来人なんだ。それで、3月が終わればもう二度とこの時代に来ることは無いんだ」
結局、その言葉を聞いた美沙さんは何も返すことなく呆然とした後。ゆっくりと振り返って走り出した。
「美沙さん!」
僕には止める術がなかった。また明日、なんとか説明しよう。そう言い聞かせて僕はホテルに入り無理やり眠りにつくのだった。
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3月31日、夜。仕事が終わってからもだいぶ待っているがその日、美沙さんは平成書店に顔を出さなかった。
「めずらしいな……喧嘩でもしたのか?」
これまた珍しく店長が奥から顔を出した。
「お前がうちで働くのは今日までだったか」
僕は無言で頷いた。
「ふむ。こんなことをいうのはガラじゃないんだが。」
言葉を切って店長が言う。
「言いたいことは、ちゃんと言葉にしたほうがいいと思うぞ」
……。
僕はまた無言で頷いた。
「店長。美沙さんの家教えてもらっていいですか」
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僕は美沙さんの家に走った。4月1日になった瞬間に僕は勝手に3010年に連れ戻される。ほんとはその時人目につかない場所にいないといけないんだがそんなこと構ってられるか。
「美沙さん!」
僕は呼び鈴を鳴らして、ドアをたたいた。
「はーい……」
ドアが開く。
「あの、美沙さんと話がしたいんですけど!」
おそらく美沙さんの母だと思われる女性に何か聞かれる前にまくしたてる。
「ええ……」
その剣幕に押されたように一ノ瀬母は僕を家にあげてくれた。
ドンドン。ドンドン。
「美沙さん。僕です。凌です」
しばらく呼び掛けていると部屋の戸が開いた。
「入って」
僕の目を見ず美沙さんが言う。僕が部屋に入るとドアを閉めた。
「なにしにきたのよ」
僕は覚悟を決めた。
「美沙さんに、お別れと……気持ちを伝えに来ました。」
美沙さんが僕を見る。
――あなたのことが好きです、美沙さん――
その言葉を聞いた美沙さんはボロボロと涙をこぼし始めた。
「うぅ……」
鳴き声が漏れる。
「……私も」
「こんなに話が合う人なんて今までいなかったし、一緒にいて楽しい人もいなかった!私も凌が好き」
「でも、凌が嘘つかないってのもわかってる」
美沙さんが絞り出す。
「うん」
僕は何とかそう返す。
「ほんとに、いなくなっちゃうのね」
僕の目からも涙がこぼれた。
「うん」
美沙さんが駆け寄ってくる。
思いきり抱き締める。
「好きですよ。美沙さん。」
最後にそれだけを絞り出す。
思いきり抱き締めて唇を奪う。
そして。ああ、時間切れだ。
「凌……ほんとに……」
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愛しい人の温もりが消え、目を開けると前に立っているのは3番ゲートのオペレーターロボットだった。
「おかえりなさい。歳納凌さん。健康状態、荷物に問題はありません。現在時刻は西暦3010年5月22日17時05分です。おかえりはあちらからです。」
何が健康なもんか。僕はのっそりと立ち上がりオペレーターが示す道へと進んだ。荷物ごと帰宅用の転送装置に入る。31世紀の移動は一瞬だ。僕は自室のソファに身体を投げ出し窓から夕陽を眺めた。そのまま少し浸る。そういえば、さっきも言ったことだけど今なら買いたいものが一瞬で手に入る。思い立った僕は彼女が最初にくれたコーヒーを探して購入する。瞬時に表れたコーヒーを握るとキャップを捻ってボトルを傾ける。相変わらず苦いけどスッキリしていておいしい。でもその中に一筋のしょっぱさを感じた。不思議な味だけどなんでだろうか。そしてすぐに気づく。ああ、僕の……。
「美沙さん……」
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最終的にきっちりかっちりした報告書にまとめられることは意外と多くないかもしれない。僕の個人的な思い出が沢山だからね。でも僕は、確かに貴重な体験をした。忘れがたい思い出だ。きっとこれからも僕の中で生き続ける、21世紀での体験だ。